今週は家事特集。
前回の「家事を仕事と捉えてみる」では、僕が現在、どんなスタンスで家事に臨んでいるかについて触れました。
なぜ家事について集中的に触れようと思ったかというと、共働きの子育て家庭において、男がまず出来るようになった方がよいことは家事だと思うから。(もちろんぜんぶではありません)
僕は、家事の方が、特に子どもが小さいうちは家庭への貢献寄与率が高いと思っているからです。
結婚という2人での共同生活から、出産→育児…となると、やることが一気に増えるどころか、生活が激変します。
結婚はまだ大人2人の共同生活なので、生活習慣の違いや価値観の違いはあっても、何とか折り合いをつけながらやっていけるように思います。(生活を営む、という点に限った話)
だって最悪、毎日外食だっていいし、洗濯を溜め込んだって困らない。家の中がゴミ屋敷のようになっていたとしても、2人がよければ他に影響は及びません。
出産→育児は、ただでさえ育った環境が異なって価値観や考え方にズレがある大人2人の間に、異星人がやってきたようなもの。
しかも親である私たちには育て上げる責任があります。
僕にとっては、人生の中でトップ1か2になるくらいの生活の大きな変化でした。
子どもというコントロールの効かない存在が出てくると、思うようにいかないことがふえ、私たち親がイライラすることが増える。
そして常に子どもに振り回されるし、ミルクに追われ時間に余裕がなくなり、家の中はグチャグチャになっていき、寝不足になり、さらにイライラすることが増え、精神的にも追い詰められていく。
時間の融通がきかなくなり、物事の優先順位が大きく変わる…
以前のエントリー「男性の育休は義務にすべきか?」で採り上げたつるのさん始め複数の方が言及していた通り、まずママになった奥さんが夫にやってもらいたいことは育児よりも家事でしょう。
↓ ここでは育児という言葉にまとめられてしまっていますが、家事も含んでいます。
家のことってだいたい軽く見られがちですが、ちゃんとやろうとすると労働としてはそれなりに大変だと思うんです。
そして家事はレベルさえ問わなければ誰でも出来る、と思われがちですが、ややこしくしているのが、夫婦それぞれで「これでOK」と思うレベルが絶対に最初は大きくズレていること。
よくある例としては、
「なんでこんな中途半端な状態でやめるのよ!」
「皿洗いやったって言うけど、油汚れが残っているじゃない!」
と妻側がイライラしたり、
逆にダンナ側としては
「仕事で疲れてるのに、これだけやってるんだぜ。いい加減に勘弁してくれよ!」
とイライラする。
固定的性別役割分担意識の強い日本では、まだまだ男は仕事中心、女性が家事・育児中心という価値観が僕も含めて多くの人に刷り込まれています。僕はなるべく対等でいようとは思っていますが、僕にも刷り込みはあるという自覚もあります。
家事も育児もHelpする(手伝う)のではなくShare(お互いに分けあう)でないと、仕事と家庭を両立させることはお互いにできないので、僕は「手伝う」ではなく「分け合う、参加する」と意識してやっています。
僕の父母は戦前生まれなので、父は家ではどっかり座り、何もしませんでしたし、妻の実家もお母さんは専業主婦でした。そういう時代だったし、そんな両親の下で育っている私たちですから、僕らはなるべく対等でと意識していますが、刷り込みがあることは否定しません。
だからこそ、仕事を持つお互いが気分よくいられるためにどうしたらよいかと僕なりに考えた結果、できること、つまり家事を当面頑張る方が家庭を回すうえではよいのかな、と考えているんです。
パパの皆さん、「手伝うよ」ではなく「任せてよ」「やるよ」と言ってみましょう。
ママの皆さん、「手伝って」ではなく「〇〇は任せるよ」「○○はやって」と伝えましょう。
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